カネミ油症事件とは

概要

1968年に、福岡、長崎、広島、山口、佐賀など西日本一帯で発覚した戦後最大級の食品公害事件。福岡県北九州市にあるカネミ倉庫株式会社が販売していた食用油、カネミライスオイルを食した人々が健康被害を訴え、翌年までに約1万4千人が保健所などに届け出た。

顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロルアクネ)など肌の異常、頭痛、肝機能障害などを引き起こした。また、被害者の母親から皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃんが産まれ、「黒い赤ちゃん」としてニュースで騒がれた。

 

年表

1968年

2月 カネミ倉庫の「ダーク油」を添加した飼料で鶏が大量死するダーク油事件が発生。

春頃より、西日本各地で、原因不明の身体症状を訴える人達が出てくる。

10月 新聞報道で「カネミ油症事件」発覚。(カネミライスオイルを食したために多くの人達に健康被害が起こっていることが報道される。)

 

1969年

2月 民事裁判が始まる。

 

1970年

11月 全国統一民事訴訟第一陣が国やカネミ倉庫などを提訴。以降、順次提訴。

 

1984年~85年

一部訴訟の下級審で国に勝訴。原告に仮払金が支払われる。

 

1987年

原告が原因企業と和解。国への訴えを取り下げる。

 

1997年

国が一斉に仮払金返還の調停を申し立てる。

 

2000年

市民団体主催で、長崎県五島列島でカネミ油症被害者の人達の「自主検診」(団長・水俣学の原田正純先生)が行われる。この「自主検診」に金子が参加し、カネミ油症被害者の聞き取りを始める。

 

2002年

坂口力厚生労働大臣が国会答弁でカネミ油症の原因物質がPCBだけでなくダイオキシン類であることを正式に認める。

6月 カネミ油症被害者支援センター設立。金子も会員になり、被害者の人達の支援活動に携わる。

 

2004年

4月 日本弁護士連合会に被害者の人達が人権救済を申し立てる。

9月 認定の診断基準が一部、改定される。

 

2006年

この頃より、金子は、被害者の人達のお宅にまで伺い、ビデオによる聞き取り取材を始めるようになる。(それ以前に集会の記録などは撮影していた。)

 

2007年

6月 仮払金返還債権を免除する特例法が国会で可決、成立。

 

2010年

8月 『食卓の肖像』の最初の完成上映会が東京都内で開催される。

 

2012年

8月 「カネミ油症患者に関する施策の総合的推進に関する法律」が国会で可決、成立。